桑原時夫の経歴、意見

目 次

一、はじめに

二、クレ・サラ問題に関与した経緯

三、私の債務整理業務に対する考え方

四、私のポリシー

五、会計監査について

六、破産事件における裁判所(特に東京地方裁判所専門部)との関

七、「民主共済会」について

八、感謝の手紙

九、事後の処理について

十、今後の展望について

十一、今回の、私に対する懲戒処分についての意見

十二、結論








一、はじめに

私が多重債務者の救済案件(以下「クレ・サラ問題」とも略称)、に関与したのは、昭和61年からであり、平成146月まで約16年間、全国の多重債務に苦しむ多重債務者の救済に努力してきた。その間約22,000人を受任し、約15,000人が完済となっている。また、分割和解(任意整理)で債権者宛返済した金額は、約168億円であり、不良債権問題で現在、日本経済が苦境といわれているが、いわゆる、庶民金融業界における不良債権問題について、私の果たした経済的役割も決して小さいものではなかったと自負している。くわえて、完済した依頼者に対し、報告をし、清算金を各自返金しており、その総額は、合計約10億円返金になっている。

二、クレ・サラ問題に関与した経緯

1、私の経歴

私は、昭和44年に一橋大学に入学し、同48年に卒業、大学院1年の時に、司法試験に合格、司法修習を終え、25歳の時に自宅で弁護士登録し、相談があれば受任していたが、一橋大学の杉原泰雄教授から、研究助手として大学院に戻ってきてもらいたい旨、要請があったため、一橋大学大学院で、杉原泰雄教授の下で憲法の研究をしていた。しかし、やはり弁護士実務につきたいと思い、大学院を中退し、30歳の時、独立して、勤務弁護士もせず、いわゆる、市民弁護士としての業務を始めた。

2、多重債務者の債務整理案件をやり始めた契機、動機

昭和61年ごろ、渋谷の道玄坂のライオンズマンションにある、佐藤和彦税理士(現在の私の顧問税理士)の税理士事務所に同居させて頂き、弁護士事務所を開業していたところ、2人の男が訪ねてきて、「先生、サラ金で困っている人が一杯います」、「何とか助けてもらいたい」と、援助を求めてきた。前述のとおり、私は、佐藤和彦税理士の事務所に居候させてもらっている状況であったので、幸い、食べることには困っていなかった。当時、サラ金の問題も社会問題化してきており、それなら「借金で困っている人を助けてあげられるのなら、それはいいことだ」と決断し、やり始めたのがきっかけであった。当時は、サラ金地獄といわれ、自殺者や一家心中が激増していた。その上、今のように、金利は安くなく、年間109.5パーセントで、サラ金問題が社会問題になっていたのである。私は「債務整理」というものは、どのようにやったらよいか、ノウハウも良く分からなかったが、正義感だけで、「そういう人を、みんなで、協力して助けてあげたらいいのではないか」と発案し、その2人の男を事務員として雇用し、クレ・サラ案件をやり始めた。ところが、その2人は、別の法律事務所で横領をし、追い出された人間ということが分かり、依頼者が65人位になったところで弁護士報酬を持ち逃げし、事務所に出勤しなくなり、行方不明になってしまった。出勤しなくなった事務員2名の後始末を、私がせざるを得なくなり、ノウハウを自分で考えながら、新たに事務員を雇用し、中央線中野駅北口のライオンズマンションで再び、一から行方不明となった2名の事務員の後始末を兼ねて、クレ・サラ案件を始めることになった。当初はコピー機1台、電話機3台位で、従業員は3〜4人であった。しかし、タウンページ、依頼者の紹介、知人の紹介等から、徐々に依頼者も増え、マンションの5部屋を借りるまでになった。しかしまだ、当時(平成3年頃)は、大量処理化するほど依頼者の数も多くなく、利益も出ていない状況であったので、コンピューターも導入できず、出納帳(依頼者の入出金)は手書きであった。

そこで、当初は、あまり専門書は出ていなかったが、クレ・サラ整理専門家の宇都宮健児弁護士の本を読み、「こういうふうに、破産もある、分割和解もある」との処理方法、紹介センター(民商、被害者の会)に関する記述を勉強しながら、手探りしながらの業務開始であった。

3、依頼者の法律事務所へのアクセスの方法

クレ・サラ案件開始当初は、多重債務者が借金の相談に弁護士事務所に行くという考えは一般化していなかった。破産の件数も少なかった。問題は、人助けをするといっても、どのような方法で、多重債務者に私の法律事務所に相談に来てもらうか、ということであった。当時は弁護士の広告も禁止されていた。広告は、慣習としてタウンページだけは許されていたので、タウンページに、「サラ金の整理をやります」と、広告を載せた。他の弁護士も出しており、それだけは許されていた。それで、広告を出しただけで、相当数の依頼者が来た。多重債務者は、それ程、法律事務所へのアクセスを求めていたのである。「困っている人がたくさんいる、先生のところでは困っている人の相談を受けてくれますか?」という声が来るようになり、宇都宮健児弁護士の本には、「被害者の会」などの相談センターを作ればいいと記載されていたので、それを参考にして、私の知人と協力し、共産党や公明党とちがい、政治色のない、民間の借金相談センターを作ったらいいのではないかと考えた(当時、弁護士会は、債務整理にあまり関心はなく、専門の相談センターは開設されていなかった)。

4、当時の債務整理を担当する弁護士の実情

クレ・サラ案件の債務整理を専門に行っている弁護士は、現在は都内で150人前後いるといわれている。当時も50人前後はいたと思われる。まず、@宇都宮健児弁護士に代表されるクレ・サラ問題対策協議会(共産党系(民主商工会)グループ)。それから、もう一つは、Aいわゆる債務整理業者に雇用される弁護士グループ。Aは、率直に言えば、50万円とか、100万円とかを、いわゆる債務整理業者から給料としてもらって職印を押すだけの弁護士グループ。この2つだけだった。私はそういう現実は好ましくないと考え、政治団体、債務整理業者から影響を受けないクレ・サラ弁護士を目指し、自分のノウハウで従業員を教育し、債務整理を専門にして、多重債務者の救済を目指そうと、考えたわけである。@のクレ・サラのグループの弁護士は、弁護士会の内部で日本共産党の党員と言われている人が多く、多重債務者の救済を通じて、多重債務者やその家族等に対する、党勢拡大、選挙の際の情報、人脈の確保等をも副次的な目的としていた。つまり、多重債務者の更正のための生活相談を日本共産党の党勢の拡大にも利用しているのである。そのわりに報酬が高くて、クレームが多い。Aの方は、債務整理業者は金儲けのためだけである。自分たちが弁護士を雇用してやっているから、弁護士報酬がすごく高くなる。債務整理業者は、早くお金を回収したい観点しかなく、弁護料が高い。さらに紹介料を取る。報酬が高いのは両方とも同じであるが、意味が違う。@は報酬が高いだけの話で、Aの方は、出資した人がいると、「出資金を早く回収したい」となる。そのため多重債務者の入金が途中でなくなると、すぐ当該弁護士が辞任する。また、Aの系列の弁護士は、利息制限法に即して計算し直さない和解が多く、和解金額が大きくなり、依頼者が完済するという意欲を失う。それゆえ、辞任が多い。その結果、Aのグループは、取りあえず、先に報酬を取ってしまうことになる。ましてや弁護士が名義貸しのため、債務整理業者の行う業務を監督していないので、そのような法律事務所の従業員は勤労意欲がない。自分たちが社会的に有意義な仕事をしているとの使命感がない。「後ろめたい」「金さえ儲かればいい」という意識でやっている法律事務所や法律事務所職員が多かった。このような債務整理業者に出資する人は、金貸しや、今でいう十一(トイチ)屋(10日で1割の利息をとる違法金融業者)をやっている人もいたようである。先日、摘発された大谷グループを初め3グループ位が東京にはあった。一方、地方はクレ・サラ案件につき専門化した弁護士はなく、債務整理業者系列の弁護士の存在は、東京のみの特徴であった。専門化した弁護士がいないということが良いか悪いかは別問題であるが、東京はクレ・サラ案件自体が利権の対象になっていた。スポンサーが何百万円も出して、10人くらいの弁護士を雇用するというのが現実であった。その流れを潰そうという、最近の東京弁護士会の正義実現のための方針は、私には理解できる。

三、私の債務整理業務に対する考え方

1、昭和61年当時考えたこと(現在もその考えに大きな変化

は無い)

私が、クレ・サラ案件を手懸けた当時は、前述のとおり、@クレ・サラグループを別とすれば、Aいわゆるスポンサー付の「お任せ弁護士」(名義貸し)がほとんどであったので、高齢者弁護士(60歳以上)が多かった。そして、最近の調査(CLA・日本消費者金融業協議会)結果から、今でも60歳以上の弁護士が35%以上もおり、状況はあまり変化していない。高齢となるとどうしても監督が行き届かなくなり、依頼者、債権者とのトラブルも多く、苦情が多くなる。その結果、弁護士の社会的信用が失墜することになる。私は、そのような現状を改革し、若手の弁護士にもクレ・サラ案件の処理に、積極的に参加してもらい、多重債務者の利益のために、この「債務整理業務」を陽の当たる場所に出し、「企業化」することが必要であると考えた。すなわち、債務整理は、弁護士業務としても今後発展するし、大量に処理すればコストダウンも図れる。低廉化こそ依頼者の救済にもなる。これまでのように、クレ・サラ案件の処理は、弁護士として二流の仕事と誤って認識し、その結果、従業員も卑屈になってしまい、横領したり、業者の言いなりになって利息制限法で計算し直すのを放棄したり、弁護士自身が、業者と強く交渉して依頼者の利益を守ることをしない結果になる。そういうことでは、クレ・サラ案件の処理の合理化は図れない、と言うことで、改善の方法を検討した。@コンピューター化による大量処理、コストダウンと、A従業員の教育の2つが私の得た結論である。

2、私の法律事務所の従業員の教育及び組織

教育のため、毎年2回、金融の専門家を呼び、研修を行った。利息制限法、過払いの請求方法など、あらゆる方法を講師に話してもらい、従業員を、法律家のプロ(パラリーガルの専門家)に育てた(平成14年7月当時、正社員80人、アルバイト20人前後)。

私の事務所の組織図については、@面談部門、A和解部門、B入金管理部門、C破産部門、D残債部門、E書類整理部門、F送金部門、G秘書部門と8部門に分かれ、それぞれに責任者を置き、毎週1回部門別のミーティング、毎週金曜日、全体ミーティングを行い、問題点を出し合い、改善に努め、また、法律知識の習得、向上に努力していた。従って、私の各部門の業務処理は迅速でミスが少ないと、各地の裁判所からも信頼されていた。とりわけ、残債部門、「いまいくら払っていますが、あといくら払えば終わりです」ということを知らせる残債部門に注目していただきたい。これは、クレ・サラ処理に関与する弁護士が一般的には残債報告をあまり送らないので批判が強い(今瞭美弁護士、夕刊フジ参照)。私の事務所は依頼者から残債の送付の依頼電話が来たら、すぐ送付できる体制をとっている。「これだけ入金されました、業者にはこれだけ払っています、報酬はこれだけいただいております。」と報告する。これも、コンピューター化できていたので、依頼者から確認の電話が来たら、すぐ報告を送れるようになっている。いま、預かり金はいくら、今までにいくら送金している、業者にいくら払っている、報酬をいくらもらっている、この残債は一目瞭然に出るようになっている。任意整理であると、和解書が全てコンピューターに入力される、出金もみなコンピューターに入力されている、弁護料の振り替えもみなコンピューターに入っている。未和解も(これは和解していません。交渉中ということ)表示される。それで、本人からの入金がすべて出納帳に入っているので、すぐにコンピューターで打ち出せるようになっている。F送金部門はコンピューターで銀行回線を使い、送金をする。E書類整理部門は、文書ファイルがいっぱいになるので、スキャナで読み取り、データをCDRにすべて入力し、保存している。以上のとおり、コンピューターで、全てIT化している。そればかりか、依頼者にわかりやすいパンフレットを作り配布している。管理体制はヒエラルキーにして、責任者を各部門において、ただし、弁護士が何にもしない、いわゆる事務長任せというシステムは、私のところは一切とっていない。「先生のところは事務長がいないのですか」と言われても、「私のところは事務長なんかいない。私が最終決定をやっているんです」と回答すると金融業者は一様にびっくりしていた。

3、一般論としては、弁護士は十分教育訓練された従業員、補助者を多数使用することによって、債務整理の大量処理は可能であり(もちろん、コンピューター化も必要であるが)、十分協力、指導監督することによって、処理できると考えられる。このことは、弁護士会の行う、クレ・サラの講習会(東京弁護士会法律相談運営委員会の企画)でも指導していた。マニュアルがあり、「弁護士は返済案の基準を出せ」「それから、依頼者には面談をしなくてはいけない」、「和解交渉については難しいのは自分でやれ」ということを指導していた。つまり、クレ・サラの弁護士たちも、これは「非弁活動」にはならないのだということで、マニュアルを出していた。私も、このマニュアルを購入し、従業員にも指示徹底し、「非弁活動」にならない様に、クレ・サラの講習会のガイドラインを遵守し、業務を行っていた。

4、コンピューター化について

パソコンを導入したきっかけは、一つはサラ金会社、信販会社がみんなパソコンを導入し、事務員が多重債務者の顧客管理をしているということである。それに対応して、多重債務者の代理人である法律事務所にパソコンを導入することによって、大量処理、コストダウンを図れるということである。当事務所の開発したソフトにより、次の業務処理が可能である。業者から取引経過を送らせる。その数字、取引経過を入力し年利18%、15%に計算し直す。そうすると利息制限法の残がすぐ出る。例えば、業者の残高だと、40万円ある、これを今まで2万円ずつ払っているとすると、これを年利18%で計算、何回支払ったかを入力すると、残金(利限残)が、後2万円とか、後10万円とかすぐ出る。本人の支払能力を入力するとすぐに返済案が出るようになっている。例えば、本人の収入が30万円あるとし、生活費を引くと原資が7万しかない、私の報酬が2万円だとすると、5万円で入力する。コンピューターが作動して、全債権者について、利息制限法の残高の何回払いと、3,000円の何回、5,000円の何回とか、そういう具合にコンピューターが打ち出してくれる。その返済案を送付し、債権者が同意してくれば、和解書を作成し、その和解内容をコンピューターに入力する。

5、入金管理について

入金管理ももちろん私の事務所で行っている。依頼者から送金してもらい、業者に和解金を払っていた。平成14年度は、月に1億5,000万円ほど金融業者に送金していた(月に6000件から7000件くらい)。依頼者が行方不明になったり、連絡がつかないと、業者から電話が来る。業者も自分たちで回収をやるよりも、私の事務所に電話してきたほうが、経費がかからない。「辞任するから」というと、「辞任しないでください、先生のほうで連絡に行ってください」、そういう業者が多かった。私は、絶対に辞めないというポリシーだったので、自家用車を運転して行き(これは督促ではない)、本人のところに行って話をした。「あなたやる気ありますか」と尋ねた。「やる気があるのであれば業務を継続します。」、「どうして、入金できないのか」理由を聞いてあげ、「私が辞任したところで事態はおんなじこと」と説得し、生活状況の改善の相談にのり、破産に変更したり、月々の金額を変更したりして、「完済まで、がんばりましょうよ」と励ます、すると、「絶対お願いします」と再び入金が開始され、遅れなくなる。以上のような入金管理の業務処理をしているので、私が受けた90パーセントが完済、あと5パーセントは行方不明、あと5パーセントは自分たちでやりますということで辞任ないし解任であった。つまり完済率(更生率)が非常に高い。実質95パーセントの完済率であった。従って、依頼者からの信頼はもとより、業者からの信頼も厚く、和解条件も良くなり、依頼者の利益になっていた。他の弁護士事務所は、入金管理について、生活相談までやらず、「入金が遅れたら、すぐ辞任」のパターンが多い。弁護料先取りで、本人に返金しなかったので、業者からの非難が多く、依頼者(多重債務者)も完済にならず、生活更生にはならない場合が多々あった。

6、復代理人弁護士および相談員弁護士について

私が、破産事件等で事務所をあけ、裁判所へ行っている時は、相談員弁護士として、主に白取勉弁護士(一弁)に常駐してもらい、面談に当たってもらっていた。また、私は、インターネット、依頼者の紹介、タウンページ等の媒体により、全国より依頼者が依頼に訪れてきていたので、同行の復代理の弁護士を5〜11人位依頼していた。事件依頼をする先生方には、相談員の業務も、時としてお願いしていた。北は北海道旭川地裁、釧路地裁等から、南は沖縄那覇地裁まで、日本全国へ裁判所のある所、私および復代理人の弁護士が依頼者に同行していた。復代理人の報酬は、交通費別で、1件目は5万円、2件目からは、2万5000円という約束であった。私の破産事件の報酬は低廉であるので、遠方の支部に申立となると、「経費倒れ」ということもあった。しかし、私は、「受任は一切断らない」とのポリシーの下で、全国の裁判所支部に管轄がある津々浦々の地域からも、依頼者が相談に来所し、依頼を受ければ、断らず同行した。なぜ、それが必要であり、可能であったのか。地方(特に支部)においては、破産事件を専門におこなう弁護士がおらず、また、報酬も40万円〜50万円と高額であり、しかも、一括払いを請求されることから、多重債務者が依頼できないことである(自由と正義2002.9月号、林道晴。P14「まさしく『限られた人的な資源』である倒産事件に関与する弁護士の方のマンパワーを、いかに有効に活用させていただくかが緊急な課題となっている」と述べている)。

私は、@コンピューター化、A従業員の能力の向上により、迅速、大量処理を可能にしたことで、コストダウンを図り、成功したので、このような遠隔地の裁判所の管轄の破産事件(経費倒れとなるときも有る)も受任可能となった。

また、復代理人として依頼者に同行する弁護士も私の業務を学び、理解してくれて、地方の裁判所および依頼者の信用も高かった。また、復代理人の中からも、債務整理事件の重要性を認識し、私の手助けをして、私の事務所で相談員弁護士として、詰めてくれたり、あるいは、自分の事務所でも事件を受任し、社会貢献する弁護士も増えた(その代表格はホームロイヤーズの西田研志弁護士である)。

四、私のポリシー

1、私は、昭和61年から手探りで、1人で債務整理事件を手がけてきたが、私の信条は、それまでの「クレ・サラ三悪」といわれる、クレ・サラ問題対策協議会系弁護士や「お任せ弁護士」に対する批判の現状を打破し、「お金のない」弱者の多重債務者を助けようということであった。「クレ・サラ三悪」とは、@高額な報酬、A一括支払請求、B受任拒否である。それでは、助かる多重債務者も助けられない。そこで、私は、(1)「一切受任拒否はしない」、(2)「途中で辞任しない」ことをポリシーとした。すなわち、(1)一切受任拒否しないということは、?報酬の支払いは一括である必要は無く、分割でOKであり、しかも、月々の収入から生活費を差引いた「支払える額」(5000円でも1万円でも)で受任するということである(一括支払い可能な、俗に弁護士同士でいう「おいしい事件」のみを受任するようなことはしない)。また、?十一屋、サラ金、不動産担保ローン等、いかなる態様の業者であっても、案件の内容にかかわらず受任するということである(やりやすい事件のみ受任するようなことはしない。全部受任しなければ、多重債務者は更生できない)。?遠方であれ、近くであれ、全て断らない(遠方は経費倒れのおそれがあるからという理由で断らない。大量処理によって生じる、合理化に伴う利益を遠方事件の経費に充当する)。

2、しかし、(1)の「一切受任拒否をしない」ということは言うは易しで、経費倒れになりやすく、それを可能とする経済的基盤が必要であった。それは、事件の「大量処理」により、コストダウンを図るということである。すなわち、経費の削減と、報酬の低廉化である。さらに、それを可能にするものは、@コンピューター化による迅速、大量処理と、A従業員の徹底した教育によりパラリーガル化を図り、弁護士と同等な知識を獲得させることである。

その結果、私の事務所では、全国どこからの依頼の受任も可能となり、また、分割、低廉な報酬で事件を受任することができるようになった。

さらに、(2)の「途中で辞任はしない」ということは、それまでの弁護士の債務整理は「本人からの入金が少しでも遅れれば辞任し」、受領済みの弁護料は返金しないという、大衆マスコミからは「追いはぎ的やり方」と批判されるやり方が多かった。それでは、多重債務者は完済できない。「入金遅れの人」は必ず理由があるのであるから、前述のように、入金管理を徹底し、親切に生活相談にのり、励ますことによって、再度返済の意欲が起こる訳であり、「完済」によって初めて更生できるのである。

五、会計監査について

昭和61年当時より、3人の税理士に依頼し、監査、申告をお願いしていた。税務調査も、4回あったが、多少の修正申告で終了した。売上げは、ここ5年間で合計約60億円位、年間約7億円〜10億円であった。

経費で大きいものは、従業員の給料で年間約1億5000万円〜2億5,000万円位。復代理人、常駐相談担当弁護士等の報酬も相応な額を支払い、年間約8,000万円〜1億円であった。あとはコンピューター関係で約3,000万円、インターネット、タウンページ、バス広告等の広告費が約5,000万円であった。

六、破産事件における裁判所(特に東京地方裁判所専門部)との関

裁判所との関係では、平成12年頃より、破産、民事再生、少額管財が増えてきて、「東京地裁・民事20部・破産部が破産する」などと言われる様になっていた。書記官と裁判官の任務分担の明確化、コンピューター管理の導入で、激増する破産事件等の処理を東京地裁は乗り切っていた。

私の事務所は、特に東京地裁の管轄が多く、当初、八王子支部と、東京地裁の本庁と2ヶ所でやっていたが、破産に関しては東京地裁で全てできるという事になった。東京地裁は園尾裁判官の下、裁判官は7人か8人くらいしかいなかったが、書記官を大量に増やし、すべてコンピューター化を図っていた。そうすることによって、大量に破産事件処理ができるようになり、逆に、時間的にまとめて大量に申立をしてもらいたいと要請があり、大量に破産事件の申立をした。その後、園尾裁判官が開発した即日面接(破産事件)という方法ができ、それぞれ、ほかの弁護士は1件ずつ持っていっていたが、私の事務所には50件ぐらい一度に破産申立(即日面接)をするよう裁判所から指示をされた。「桑原先生のところは書類がしっかりしているので、簡単な面接で済みますよ、追完が少なくてすみます」と励まして頂けた。書類不備等のクレームが少なかった。

また、免責期日についても、集団免責においては、50人一度に何時からと日程を入れていただき、最終時間に「桑原事務所依頼者(申立人)」の免責審尋としてまとめてやってもらった。それは、次のような、代理人に対する信頼関係に基づくものであった。「東京地裁の「即日面接」のような、代理人への信頼を前提として、円滑な事件処理を目指す動きも出ている」という状況であった(自由と正義2002.9月号、林道晴)。私の事務所の東京地裁への破産申立事件処理状況は、最近1年間で約500件位であった。

七、「民主共済会」について

私が、債務整理の弁護士業務を始めたのは、昭和61年であり、その時は、債務整理を専門とする弁護士のグループは、前述のとおり、大別して、@クレ・サラグループ(民商、被害者の会より紹介を受ける等、協力関係の有る弁護士)、A「お任せ弁護士」グループ(名義貸し)の二つであった(それらの内容および弊害については前述二、4)。

いずれも弊害が生じており、多重債務者が自由な政治信条および自分の意思に基づいて利用しにくい実態があった。@については、選挙のときに、特定の政党への投票を勧誘されるとか、Aについては、弁護士が監督しないので、従業員が勝手にやっており、和解条件が悪く、報告も無い等。また、民主共済会が設立された平成六年当時は、(1)弁護士広告も解禁されておらず、また、(2)N.P.Oも法制化されていなかった。従って、多重債務者の弁護士へのアクセスが全く保証されておらず、多重債務者は、いわゆる「紹介屋」、「整理屋」、「買取屋」等の悪徳業者に喰い物にされている状況であった。そこで、当時考えられる唯一の手段として、「政治団体」を設立し、ビラ配布等の広告宣伝活動により、弁護士へのアクセスを少しでも容易なものにしようと、同僚の弁護士、市民活動家と協力し、民主共済会を設立したのである。現在のように、N.P.O法制が確立していれば、「多重債務者の相談、救済」を特定の非営利的目的として、それに基づき設立したはずであるが、当時は不可能であった。また、特定の政治信条(民商等)を持った者同士の結集であれば、活動範囲が狭くなるということで、選挙活動、通常の政治活動をせず、「多重債務者の救済」のみを中心に結集した政治団体であった。

従って、選挙等の通常の政治活動をしないからといって、直ちに「非弁提携」の「対象」とする「紹介屋」であると断定することは、全く誤りである。また、民主共済会が、「多重債務者に迷惑をかけた」とか、「金員を詐取した」とか、「違法行為を働いた」というような事実は全くない。逆に多重債務者に感謝されている。

八、感謝の手紙

平成14年7月4日、突然の「退会命令」を受け、「議決書」を読んだところ、私の業務処理に対し、139件の苦情が来ていることが一つの理由となっていた。約25,000人の139件といえば、1パーセントにも満たないものである。「この甲第13号については夏期休暇中に調査し反論するから時間をもらいたい」旨上申したにもかかわらず、突然7月4日、処分が下された。私は、「議決書」の内容に納得がいかないので、私の依頼者に資料を添えて、「報告」の手紙を出したところ、全国から約500通の「感謝の手紙」(甲第1号証)が返送されてきた。この手紙の内容を読んでもらえれば、いかに「議決書」の事実認定が誤っているか、ということが判明すると思う。いまだに、「先生にやってもらいたい」という手紙が届いている。

九、事後の処理について

1、「退会命令」の懲戒処分が74日にあり、「弁護士記章(バッヂ)を返しなさい」との指示で返却した。その後、同月9日に東京弁護士会に呼び出された。副会長が5人程いた。私の案件の担当で副会長と思しき吉田健弁護士、同竹之内明弁護士がいて、その他の副会長もいた。残務処理について指示があった。ところがそこになぜか内藤満弁護士(法律相談運営委員会委員長、通称、クレ・サラ委員長)が同席していた。同弁護士は、最初は全然話さず、他の副会長が「先生名簿どうしますか」とか「名簿出してください」と言ったので、やむをえず依頼者の一覧名簿を提出する旨の書類に承諾のサインをした。すると、その後から内藤満弁護士が、「私、あの発言していいですか」と言い、「私、クレ・サラ委員長の内藤満ですけど、先生7,000人もいて大変ですね」、「全部こっちに投げませんか」と言ってきた。私の依頼者だから何で彼にそんなこと言われなくてはならないのかと思い、「いや、みんな私のことを信用しているし、私のほうで引き受けてくれる先生がいるから、いいですよ」と断った。その後、東京弁護士会で相談会を設けた。東京弁護士会の設けた相談会は、第1回目は7月13日であり、相談者は20人しか行かなかったようである。その結果8月8日に2回目の相談会を設けた。2回目のときは60人から80人くらい人が集まったようだ。業者も行っており、ジャーナリストも行っていたようなので、実際は、依頼者は20人くらいしかいないということであった。その情報に接し、私が汗を流さなければ7,000人の依頼者が海に投げ出される結果となると考え、一弁の白取勉弁護士に引き継ぎを頼んだ。依頼者に私の辞任届けと 白取弁護士への委任状を送ったところ、約4,000人が委任してきた。白取弁護士が私の事務所に、事務所移転の申請をしたところ、却下になった。「あんたこんなことをやっていたら、あんたも懲戒になる」と一弁から言われ、「辞任届けを出せ」と言われ、すぐ辞任届けを出す結果となった。それで、今度は同じく、一弁のS弁護士が、「私はそんな妨害には屈しませんよ」、「先生のやっていることは知っているし、私もやりたいと思っていた」と言って代理人になり、委任状を送ったところ、また、約4,000人がお願いしますと、委任状を返送し、1億円も送金してきた。そうしたらまた「辞任せよ」、「一億円返金せよ」と指示され、全部返金し、辞任という結果となってしまった。その後、K弁護士が、「清算のみやる」という条件で(引継ぎはしない)清算処理をしている。ところが、私の元依頼者が、弁護士会で紹介された弁護士のところへいくと、「一括金を持ってきてください」といわれて断られてしまう依頼者が多い。私の依頼者は、弁護士会の神田、四谷の相談所へ行って、断られてから私のところに来ていた依頼者が多かったので、弁護士会の紹介の弁護士は、条件が合わず、受任してくれなかった弁護士が多かったようである。私の東京弁護士会に対する質問書の回答で、そのうち、1,369人くらいは東弁で紹介、一弁で46人、二弁で187人、全国で、1,000人くらい紹介したと思われます、となっている。受任は、約1割800人くらいと思われる。従って、代理人の見つけられない依頼者が多く、皆困っているはずである。

2、前記のとおり、クレ・サラ委員長こと内藤満弁護士の「丸投げ」の要請を断ったところ、同委員長は、今度は、個人として、「すばる法律事務所」弁護士内藤満名で、私の預り金口座(あさひ銀行)を、仮差押えをなした上(東京地裁14年(ヨ)第3412号)、自分の依頼者48名の代理人として、東京地裁に預託金返金訴訟を提起してきている。そればかりか、「私の依頼者だけ払ってもらえればいいですよ」という内容の和解の申し出までしてきている。

1、2の事実から、今回の私の「退会命令」がどのような政治勢力によって、どのような政治的意図、経済的目的をもってなされたものであるか容易に推測がつく(夕刊フジ、平成14年11月26日〜12月6日、クレサラ騒動の内幕、大下英治)。

十、今後の展望について

1、「自由と正義」(2002.9月号、林道晴)の「倒産事件激増!!」のとおり、破産事件を中心とし、倒産事件が激増していることは明白である。これに対し、東京地方裁判所を中心とする大都市の裁判所は、@書記官、事務官の増員および教育研修と、Aコンピューター化によって、未済事件の減少、大量処理を可能としている。また、「申立人代理人弁護士への信頼」を前提とした「即日面接」等の簡易な方法、集団免責審尋という大量処理によって、さらなる破産事件等の大量申立に対する、対応が可能になっている。しかし、これに対応して、「申立人代理人」となるべき弁護士、および弁護士会が対応できているであろうか。

2、まず、私が目指したものは、すでに述べたところであるが、前記1の裁判所の方向、システムの全てに対応するものであった。@大量の従業員の教育、訓練により、法律的実務能力の向上によって、迅速、大量の事件処理、Aコンピューター化による処理、管理。全て裁判所のシステムと対応するシステムを目指し、大量迅速な処理システムによる多重債務者の救済、債務整理事件処理を可能にしたのである。これは、時代の要請であり、この方向以外に、債務整理事件処理についての弁護士および、弁護士会の進むべき方向はないのである。前出の林道晴寄稿にも、公式的には、「弁護士会との協議」により、何とか早急に手を打たねばという危機感があらわれているが、10年1日の如くであり、裁判所の破産部の事務処理の近代化には、弁護士会の「相談センター」は全くついて行けていない。また、弁護士も、私の事務所のように、@大量の事務員により、またAコンピューター化によって、「債務整理事件の大量処理」を可能にするシステムをとって稼動していたのは、私の他、東京弁護士会の法律事務所ホームロイヤーズ(西田研志弁護士)しかない。つまり、経済の不景気による破産事件等、倒産事件の予想される激増化に、弁護士業界は全く対応できていない。特に地方においては、破産事件については、専門弁護士がいないため、「弁護士0」地帯となっている。小松陽一郎弁護士の「倒産事件の激増に対し、弁護士はその職責を果たせるのか」(自由と正義、2002.9月号P31〜)。「弁護士過疎対策として、公設事務所の設置等の機運も高まっているが、時間的に間に合わないのではないだろうか」という危機感にあらわれている。この予測、危機感のとおり、間に合わないと思われる。現実に、神田、四谷の相談センターの処理能力、方法も限界である。そこで、発想の転換をし、公設事務所、相談センター等の弁護士会の組織に頼らず、個々の弁護士および法律事務所が、「債務整理」の企業化を進めてみるほうが、より早く対応ができると思われ、私の目指したものは、この方向=企業化であったのである。これこそ、経済改革に沿った弁護士業務の行くべき方向ではなかろうか(公式的には、公設事務所の先取り)。

弁護士業界もあらゆる方向から(例えば、外国法事務弁護士、司法書士、税理士、弁理士、裁判所)自由化、開放を迫られている。従来のルールを見直し、現実に合った方向に再検討し、改革を進めることにより、弁護士業務の拡大も可能となるのである。

債務整理事件も、多重債務者(結果的に、業者のためにもなる)の利益を図りながら、弁護士事務所を企業化することによって、十分採算の取れる業務として成り立つものである。

十一、今回の、私に対する懲戒処分についての意見

(1)       東京弁護士会会長の懲戒請求の異常性

依頼者からの苦情、被害届け、告訴等が一切ないにもかかわらず、東京弁護士会の会長が、率先して政治団体「民主共済会」への、寄付を探し出し(政治資金規制法に基づく寄附の届け出)、また、私の依頼者、4人を見つけ出し 懲戒請求をして来たことである(この4人の依頼者についても私の債務整理の処理の報告を見てもらえばわかる通り、何等問題はなく、適切に処理されている)。 このような東京弁護士会会長による懲戒請求が、適法か、そのような権限が許されているのか、極めて疑問であり、違法でないとしても妥当性は疑問である(東京弁護士会会員後藤富士子弁護士、自由法曹団、東京支部、インターネット記事、http://www.jlaf.jp/tsushi n/2002/1070.html#05)。今回の私の件のように、弁護士会の組織のみが、排他的、独占的にクレ・サラ処理をするべきという政策を掲げるグループに、東京弁護士会の会長が、なぜか歩調を合わせ、弁護士会の組織である、いわゆる四谷・神田の相談センターの、殿様業法すなわち、「手間のかかる方法や、闇金業者との示談を避け、楽な破産申立のみを選択して、最下層の最悪環境にいて、救済を待ちわびる、多重債務者の救済に手を染めない」と言う業法に、異を唱え、「何でも受ける・すぐ受ける・即日受ける」を信条に、官制クレ・サラセンターを凌駕する、サービス精神にあふれた、民間相談システムの樹立を首都圏を中核にして、樹立しようと、企画・実行した私の弁護士業務路線を弁護士会から排斥するという暴挙をなしてきた。この暴挙は、弁護士会のファッショ化として、多数の良識ある会員の危惧を招いている。

(2)       書証の提出の異常性及び書証の異常性

弁護士会による、所属会員に対する懲戒請求は、通常依頼者からのクレームが多数寄せられ(夕刊フジ、1月28日〜2月7日、今瞭美弁護士の記事)、会長が懲戒請求を発動するのが普通である(かつての豊田商事事件のように)。しかし、私の本件懲戒請求時には、クレームはなかった。また、そのような証拠も提出されていない。やっと、東京弁護士会懲戒委員会の審議の最終段階に至って139名のクレームの書証を提出して来たものである。しかし、これも異常である。@クレームを提出している私の依頼者の名前が、マジックで消され、依頼者が誰かわからないことである。このような氏名不詳の依頼者のクレームが証拠採用され、私の「信用失墜」の認定事実になっていることは許されない。さらに、A前記クレームは事実無根ないし誤解であるから、それを立証するので、調査の為の時間を貰いたい旨申請したにもかかわらず、それを無視し、「退会命令」という重大な決定を出したものである。また、Bクレームの内容は、「依頼された債務整理をいいかげんにしたとか、報告をしないとか、弁護料が高すぎる、明確でない」という、本来であれば、いわゆるクレ・サラグループによって惹起されている、憂うべき信用失墜のクレームである。このような不評は私にはほとんどない。また、C私のクレームの聞き取り情報の多数が、全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会の宇都宮健児弁護士(同会員は、2回も私に懲戒請求をしてきている)であることも、情報操作の可能性を疑わせ、この証拠の信用性に疑問がある。

十二、結論

以上から明らかなように、私に対する懲戒処分は、審議経過、認定内容、処分の量定において極めて異常であり、懲戒権の濫用とみなし得るものである。

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